第6章: 冗談と本気
アメリカでの生活
2013年1月、僕は9歳のときに自分を受け入れ育ててくれた日本から飛び出し、ついに憧れのカリフォルニア・シリコンバレーへ移住しました。同僚の紹介で、グーグル本社の近隣にあるサニーベール市で二人のルームメイトとルームシェアを始めました。アメリカではルームシェアはごく一般的に行われています。特にサンフランシスコやシリコンバレーでは家賃が近年上昇していて、一人で借りるには負担が大きすぎるので、独身の若者はルームシェアをするのが普通です。僕がルームシェアを始めた家は3階建てのタウンハウスで、2階のリビングとキッチンが共有スペースになっていて、あとはバスとトイレがついた各個人の部屋がありました。シリコンバレー周辺は車がないと移動できないので、インターネットの日本人コミュニティで見つけた、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の方から5000ドル(日本円で約60万円)で中古車を譲ってもらいました。アメリカでは個人間で車の取引はよく行われることですが、まだ現地の事情に明るくない僕は安心できる日本人から買うことにしました。
GWC1前にて。着ているのはグーグルマップ8ビットのポロシャツ
僕の家から本社のオフィスのあるマウンテン・ビュー市までは車で20分ほどの距離で、毎朝中国語のラジオ放送を聞きながら通勤しました。中国語のラジオチャンネルがあるほど、このあたりは中国系の人が大勢住んでいます。通勤路を走っていくと、NASAのエイムズ研究センターを通り過ぎていきます。映画でしか見たことがなかったNASAの大きなロゴがいつもアメリカにいることを思い出させてくれます。ルート101からショアライン通りに出て、コンピュータ歴史博物館を過ぎると、そこにはグーグル本社のキャンパスが広がっています。グーグルのキャンパスは5万平米ほどの広大な敷地内にあって、大学のキャンパスのようなところです。緑に囲まれた敷地内には、数十の低層オフィスビルが点在しています。各オフィス付近には「Gバイク」と呼ばれているカラフルに塗られた自転車が置いてあり、移動するときはそれに乗ります。大抵のビルには1つか2つのカフェテリアがあり、社員は朝昼晩無料でご飯が食べられます。僕がいたのはGWC1という2階建ての古いビルで、そこにはグーグルマップのチームが集まっていました。オフィスの入り口にはグーグルストリートビューの写真を撮る車が飾ってあり、中にはゲームコーナーやビリヤードコーナー、マイクロキッチンと呼ばれる飲み物やフルーツなどが常備されているコーナーなどがあります。僕の席は2階のゲームコーナーのすぐ横の大部屋の中の6人席のブースにありました。2枚のディスプレイモニターとラップトップを載せてもまだ余裕のある大きな机には各自思い思いの飾り付けをしてありました。のちにナイアンティックで僕の上司になる、ストリートビューチームを率いるプロダクトマネージャーの河合さん(河合敬一氏)も同じオフィスの1階にいました。このオフィスには何度か出張で来たことがあったので、驚きこそなかったものの、ここが自分の新しい職場になると思うと感慨深いものがありました。
宝探し
アメリカに来てから1カ月が経ち、ようやく生活が落ち着いてきた頃、僕は2013年のエイプリルフールの企画を始めました。アメリカの同僚といろいろなアイディアを出しながら、グーグルマップを宝の地図のようにするというアイディアに決めました。早速数時間でデモを作った僕はそれを方々に見せて、手伝ってくれる人を見つけていきました。『グーグルマップ8ビット』のときの学びがあるし、ある程度要領を心得ていたので簡単にうまくいくだろうと高をくくっていましたが、そうはいきませんでした。詳細をここで語ることはできませんが、諸事情により前年使っていたシステムをそのまま使うことができなかったのです。いろいろなチームの人に手伝ってもらいながら、前年のシステムとは違うシステムで作り直しました。2013年4月1日、『Google マップ「宝探しモード」新登場-暗号を解いて宝を探そう1』と題したブログを投稿し、その年のエイプリルフール期間中はグーグルマップが宝の地図になりました。
グローバルな環境
シリコンバレーは実に多国籍な場所です。白人系アメリカ人はもちろん、中国系、インド系、ヨーロッパ系、カナダ系、ロシア系など多彩な人種が入り乱れています。日系人や日本人も大勢ではないものの、ちらほらいます。僕の所属していたチームには日本人、インド人、イギリス人、中国人、アメリカ人、ロシア人などがいました。共通言語はもちろん英語ですが、みんなそれぞれ独特のアクセントを持っています。僕は英語は以前よりいくらか上達していて普段仕事をする上では問題はまったくなかったものの、会議などで議論が白熱したときには聞き取れないことがよくありました。アメリカでは議論をしていると、他の人の発言が終る前に、遮るように次の人が話し出すことはよくあることなので、そのペースに乗らなければいけません。自分が発言しようか迷っているときに、その話題は終わってしまい、臍を噛む思いをすることが何度もありました。仕事のときの英語はまだ専門的な会話なので、比較的わかりやすい方ですが、ご飯を食べているときの雑談などはテレビ、歴史、文化、政治など多方面に話題が及ぶのでさらに苦労しました。9歳のときは半年で日本語を覚えられたのに、10年以上勉強しているはずの英語はまだまだ未熟なものでした。
言葉のハンデがあった分、それを補うためにも僕は人一倍仕事に打ち込みました。一般的な日本の会社と違い、グーグルではどれだけ長く仕事をしているのかが評価されるわけではないし、遅くまで仕事をしても誰かが褒めてくれるわけではありません。ワークライフバランスを重視している人が多いし、家族がいる人も多いので夕方6時頃になるとほとんどの人は帰ります。遅くまで仕事している人はむしろ奇異な目で見られることが少なくありません。僕が一生懸命仕事をしていたのは、上司や同僚に見せたかったわけではなく、仕事が好きで、プログラミングが好きだったからです。言ってみれば好きなことをして給料をもらっているようなものでした。一生懸命働いた分知識は少しずつ増えて、アンドロイド版グーグルマップの重要な機能の1つである道路名や地名のレイアウト、描画プログラムは僕がほとんど一人で作りました。道路名や地名は「ラベル」とも呼ばれていて、うまくレイアウトし、描画するのはそれなりに難しい問題です。特にモバイル版のマップでは画面を回転させたり、ナビゲーションモードのときのように傾けたりするので、その時々に合わせて最適なラベルを最適な位置で、しかもリアルタイムで表示する必要があります。そのためのアルゴリズムにはかなりいろいろな工夫をしました。こうした努力もあって、チームから信頼を得られるようになっていきました。
集める遊び
2013年12月、米国に来てから1年が経とうとしていた頃、日本のグーグルマップチームにいたタージと藤原さんと澤さんからテレビ会議のリクエストがきました。グーグルでは日常的にテレビ会議を使っていて、特に太平洋を挟んだコミュニケーションにはテレビ会議が欠かせないものです。タージたちは来年のエイプリルフールの相談を持ちかけてきました。そのとき僕は、2年連続でエイプリルフールプロジェクトを率いて、苦労も多かったのでもう来年はやらないと周りに公言していました。「アイディアだけなら」ということで、3人とブレインストーミングをしました。ブレインストーミングとはみんなで集まってアイディアを出し合うことで、新しいプロジェクトを始める時の最初のステップです。その日の会議はいろいろなアイディアが出ました。特に藤原さんが考えた「ご当地キティちゃん集め」が面白そうだということで、その方向で考えていくことになりました。グーグルマップ上で、沖縄に行くと沖縄のキティちゃんが、サンフランシスコに行くとサンフランシスコのキティちゃんがいるイメージです。その時はちょうど年末で、翌週には日本に帰る予定だったので、日本に戻ったときにまた集まって話すことになりました。1週間が経ち、日本に戻った僕は友人宅のある浜松町に泊まっていました。浜松町からグーグルのオフィスがある六本木に通勤していました。この日はプロダクトマネージャーのタージ、エンジニアの藤原さん、澤さんとデザイナーのピーターでまたアイディアを話し合いました。前回に引き続き、キティちゃんの話から、なにかものを集める遊びの方向で話が進みました。キティちゃん以外には「集めるならドラゴンボールが面白そうだ」というようなアイディアも出ました。そのとき、僕は毎日通勤時に通っていた浜松町にある「ポケモンセンター」(2014年12月に池袋に移転)のことをふと思い出して、「これだ! グーグルマップでポケモン集めだ!」というアイディアを思いつきました。僕は「これは絶対に面白くなる」と思い、興奮しながら席に戻ると早速デモを作りました。
その時僕はすでにモバイル版グーグルマップを1年近く開発していて、グーグルマップのプログラムの勝手がよくわかっていたので、デモは2時間ほどで完成しました。このデモは、グーグルマップをズームしていくと、ピカチュウが現れ、それをタップするとモンスターボールで捕まえることができるものでした。シンプルですがアイディアをみんなに伝えるには十分なものでした。できたデモをみんなに嬉々として見せて回り、みんなの反応を見て、これは必ずうまくいくと確信しました。こうして『グーグルマップポケモンチャレンジ』プロジェクトがスタートしました。
なにか新しいことを始める時、簡単なデモを作ってみることはとても大事なことです。アイディアを言葉だけで人に説明してわかってもらうのはとても難しいことです。プログラムがかけるなら動くデモを作ってみる、プログラムがかけないのなら絵に描いてみるなど、自分のできる方法でアイディアを形にしてみることが重要だと思います。
度重なる偶然
グーグルマップでポケモンを捕まえるゲームを作ろうと盛り上がってはいたものの、これには当然ポケモンの権利者の許諾が必要です。そこでポケモンの権利について調べてみると、「株式会社ポケモン」(以下ポケモン社)のことが浮かびました。僕はそのとき初めてポケモンという名がついた会社があることを知りました。しかも、偶然にもポケモン社はグーグルのオフィスが入っていた六本木ヒルズ森タワーに入っていたのです。しかし、いきなりポケモン社の門を叩くわけにもいかないので、毎年エイプリルフールのプロモーションを手伝ってくれていたマーケティング部門の根来さんに相談に行きました。根来さんはプロジェクトに賛同してくれましたが、自分はポケモン社とつながりがないので、社内のメーリングリストに内容を伏せてポケモン社に知り合いがいる人はいないかとメールを送りました。複数名の返信の中に、見慣れた名前が1つありました。「須賀健人」。根来さんは何も言わず、僕をそのメールのccに足して返信しました。毎年エイプリルフールで僕と同じくらい苦労をしていた須賀さんは僕の名前を見て「うわー、またきたか」と始めは思ったそうですが、「これはもう仕方ない、そういう宿命なんだ」と諦めて協力してくれることになりました。須賀さんの知り合いを通じてポケモン社との話し合いが持たれ、プロジェクトへの賛同を得ることができました。こうして幾つもの幸運が重なり、2014年のエイプリルフールプロジェクトはポケモンに決まりました。
来たれ!真のポケモンマスター
社内でいろんなエンジニアに声をかけ、最終的に藤原さん、澤さん、タイソンと僕の4人を中心にボランティアでチームが編成されました。アンドロイドとiOS両方のグーグルマップに対応する必要があったので、最終的にプロジェクトに関わったエンジニアは20人を超えました。タージがプロダクトマネージャーを務めてくれて、ピーターがデザインを担当してくれました。みんなで話し合った結果、マップにズームしていくと世界各地で見つかる151種類のポケモンを捕まえるゲームにすることになりました。ポケモン図鑑も用意され、ポケモンを捕まえていくと図鑑が埋まっていく仕組みにしました。登場するポケモンは、ポケモン社に全シリーズの中から151匹を選んでもらいました。ポケモンが登場する場所は、世界各地の名所や、ポケモンがいそうな地形のある場所にしました。社内のメールでボランティアを募集し、ポケモンを登場させたい場所と、登場させたいポケモンのタイプをマップ上にタグ付けしてもらいました。僕自身もたくさんのタグ付けをしました。出身校である東工大や信州大学にはでんきタイプのポケモンを配置したり、湖にはみずタイプのポケモン、火山にはほのおタイプのポケモンを配置しました。ユーザーが「ここにいるかもしれないから探してみよう」と思ってもらえるようにしたかったのです。最終的に2000カ所以上集まったタグを、最後は僕が1つ1つチェックしました。
151匹目のポケモンは当初から、幻のポケモン「ミュウ」にしようと考えていました。ミュウにふさわしいように、他のポケモンとは違う出現方法を考えました。ユーザーの位置情報を使い、実際にその場に行かなければ捕まえられないようにしようと考えたのです。ただ、エイプリルフールという短い期間内にユーザーを特定の場所に向かわせることは難しく、いろいろなリスクもあったので諦めることにしました。実際に現地に向かわせるかわりに、次のような仕組みを考えました。他の150種類のポケモンは、どのユーザーでも同じところに現れるのですが、ミュウはユーザーによって出現する場所を変えました。『ポケモン赤・緑』のときのストーリーに合わせて、ブラジルのアマゾンの森林の奥にミュウを隠しました。さらに、ミュウはユーザーが150種類のポケモンを捕まえたあとに現れるようにしました。子供のときに聞いたミュウの噂や都市伝説を再現しようと考えてのことでした。この狙いは見事に的中し、ユーザーの間で「ミュウがここに出るらしい」、「いやそこにはいない」、「そもそもミュウなんていない」などの情報が錯綜し、「ミュウ」がツイッターのトレンドキーワードになるほどでした。
例年のごとく、この年も根来さん、須賀さんに協力をしてもらいプロモーションビデオを作ることになりました。さらに同じくマーケティング部の村田さん、サンディーが加わり、2年連続でビデオを作ってくれていたシックスの本山さんがこの年もクリエイティブディレクターを引き受けてくれました。このときに作られたビデオは数日で1000万再生を記録し2、大きな反響を得ました。このビデオではポケモンが現実世界にいるかのような描写がなされ、のちの『ポケモンGO』につながる大事な一歩になりました。
2014年4月1日、広報担当のさくらさん(富永さくら氏)が書いてくれた「来たれ! 真のポケモンマスター」と題したブログポスト3とともに、『グーグルマップポケモンチャレンジ』がローンチされました。『ポケモンチャレンジ』は『8ビットマップ』や『宝探し』を大きく超える反響を呼び、インターネットの話題がポケモン一色になりました。僕は改めて『ポケモン』というコンテンツの凄さを思い知らされました。